モンテッソーリ教師養成コースでも必須となっている「人間の傾向性」についての内容が記された貴重な書籍です。
モンテッソーリ教育は、アナログなやり方をメインとして取り入れてるので、その印象から古臭くて、時代遅れなのでは?100年も前に生まれた教育法でメディア全盛期の現代に合わないのでは?と思われる方がいると思います。
ですが、モンテッソーリ教育がどんな時代になっても、時代遅れにならない理由を、強く主張するのがこの本の始まりでした。
『人間の傾向性とモンテッソーリ教育』マリオ・M・モンテッソーリ著
私は読むのをだいぶ後回しにしたのですが、モンテッソーリ理論の中では、これありきの話が展開していくので、前もって知識として入れておいた方が良かった内容でした。
もちろん、ある程度勉強した後で読んでも、むしろ、理解が深まるものです。
内容が薄いというレビューもショップについていたりしますが、読む人によって感じ方が違いますね。
他のシリーズの本と比べると文字数も確かに少ないし、物理的な本の厚さも薄いです。
確かにあっさりした内容の例え話のオンパレードではあるのですが、私にとっては、この内容は、とても深みを感じるものでした。
モンテッソーリ教育の理論とは、体系立ってはいるものの、なかなかニュアンスの説明が難しい部分が多いです。
まわりくどい説明は、イメージを共有するために、わざとそのように解説されているのだと思います。
一つ一つの理解を丁寧に紐解いてくれるような優しい内容でした。
例えば、自己訂正がなぜ人間を成長させる方法なのか?
言葉で説明すると淡白になってしまい、あまり具体性がないような話に思えてしまいます。
今回、この本を読んで、クリアになったなぁと思う部分でした。
例え話として、本では次のような話が紹介されています。
原始人のように、木の枝に石をはめ込み、獲物を取るための道具を試しに作ってみた、という話です。
実際に使ってみると、ぽろっと石が取れてしまうので、再発防止のため、木の枝に石をはめ込むだけでなく、しっかり縛り付ける対策をしました。
石が取れてしまうこと(エラー)に対して、この部分を正しく修正する必要があり、失敗の理由を考察します。
石を固定するという答えを見つけ出し、新たな道具を作り出したという流れです。
自分でやったことの誤りを、自分で試行錯誤して、正しく訂正していく。
まさに、自己訂正の流れですね。
“間違いの訂正”を通して人間は、自己完成(sel-perfection)へと向かうのです。そのためには、活動(activity)、仕事(work)、手で操作すること(manibulation)、運動(movement)、体験(experience)などが必要でした。これらを経て初めて、間違いの訂正は、身体能力だけでなく人間の知性そのものを成長させることができるのです。一つひとつの失敗を理解していくからです。これは自己教育の過程そのものではないでしょうか。つまり、知性を拡大させ、より多くの理解に到達するためには、現代を生きる私たちには、体験と活動が必要です。私がなぜ、モンテッソーリの方法は決して廃れないと言い切れるか、おわかりですか。
人間の傾向性とモンテッソーリ教育
たくさんの失敗の経験を踏み台にして、それを通して、人間は成長を続けていくんだよなぁと再確認しました。
モンテッソーリ教育って、色んな本を読むほどに新たな発見があって本当に面白い教育法です!