今回紹介するのは、国際モンテッソーリ協会(AMI)公認シリーズの本です。
翻訳本であるため、日本語が少し平易ではありませんが、モンテッソーリ哲学を知るのに、とても重要な情報を与えてくれます。
1946年に行われたロンドン講義録は、モンテッソーリ博士自身の思想や教育の原則を深く理解するためにまとめられたモンテッソーリ哲学の基本を集約したバイブル的存在です。
モンテッソーリ博士の考えを歪めることなく正しく理解するのに傑作選講義録!おすすめの一冊!
何度も読み返したくなるので、保存版です。
『1946年ロンドン講義録』マリア・モンテッソーリ著
モンテッソーリ博士の理論を学ぶことで、子どもの成長を支える方法を見つけることができ、より良い教育環境とはどんなものかを理解するためのヒントを私たちに与えてくれます。
モンテッソーリ教育とは、教具やおもちゃの環境を整えることだけが全てではありません。
子どもが成長する中で必要な環境を知ること。
何よりもまず私たち大人がこの基礎を知っておかなければモンテッソーリ教育は成り立たないでしょう。
「1946年ロンドン講義録」は、子どもの教育に関心があるすべての方にとって必読の書です。
- 生命への援助としての教育
- 科学的教育学
- 心理学に基づく教育
- 発達の三段階
- 遺伝と創造
- 無意識の心理学
- 誕生からの教育
- ことばの発達
- 自然との調和
- 知性の錠をあける
- 社会的な発達と適応
- 人間ならびに自然を超えるもの
- 人間の研究
- 新生児の心理学
- 子どもに触れること
- 自発的な活動
- 創造のエネルギー
- 自立のための教育
- 最も大切な年齢
- 社会的な問題を解決する
- 仕事と遊び
- 運動と性格
- 両手
- 想像力の建設
- 成長のための教育
- 真実とおとぎばなし
- 抽象
- 宗教教育
- 道徳教育
- 正常化
- 回心した子ども
- 新しい教師
- 連帯による社会
マリア・モンテッソーリ博士の著書を読んできた人なら知っていると思いますが、博士は基本的に例え話を交えた手法で理論を解説してくれます。
子どもが自分の人格の中に何かを築くには二年間を必要とします。子どもは、ヒトという種に一致するよう自分自身を発達させる可能性を持っています。子どもは二歳で走れます。母親の後についていくことができ、正しい方向に向かうことができます。子どもは生まれたばかりの動物の段階に達したのです。初めは何もありませんでした。そこから成長の時期が来ます。私たちは、この理由のせいで、外面の生活には何も示されていない、この早い時期に大きな注意を払わなければなりません。この最初の二年間に何かが欠けたら、その結果として、子どもは環境に適応できないかもしれません。動物たちの遺伝に当たる手引きを見いだせないかもしれません。この時期の間に、自分の集団の社会的な諸条件に対する感受性が建設されます。
全ての生き物は『生きていくために環境に適応する』という考えのもと、人間についても動物たちと同じように『生活する環境に適応していくことが成長の流れである』と説明されています。
そして、これがモンテッソーリ教育において非常に重要なポイントとなってきます。
生まれて最初の二年間で、人間の特徴(二本足で歩く、言葉を使うなど)を身につけていくと言われているのです。
また、この二年の間に、子どもの成長に必要な環境が欠けることで、その後の社会性において欠陥が生じる可能性を示唆しています。
不適切な環境の中で生活していると、社会という集団になじめない原因を作ってしまうということです。
ゆえに、乳幼児期のこの時期の子どもたちの環境はとても大切だと再認識できる内容でした。
環境を修正するためには、人間は働かなければなりません。そしてこの働きは必然的に手を使う労働です。地球上における人間の知性的な仕事は特に、手によって働くことによって生じました。人間はあらゆる物を修正しなければなりません。すべてを同時にではなく、少しずつです。何千年もかけて、人間は自分の仕事を完成させてきて、文明の進歩を広めてきました。人間は自然の中に存在するものすべてを取り上げ、それをより高い水準に高めました。「自然を超える」水準にです。
モンテッソーリ教育での特徴で、手を使った活動をしますよね。
その理由を解説している部分です。
人間だけは他の動物たちと違って特別な能力を身につける生き物であることがうかがえます。
他の動物たちは自分たちの生きられる環境の中でしか生きていけない(水の中、特定の餌がある場所、特定の植物がある場所など)ですが、人間は知恵を使い、手を使うことによって道具を作り出し、物を創造し、どんな場所でも生息できるように環境を作り変えて生きていく…そんな特殊な適応性を持っているのです。
もしも、人間が手を器用に使えるようになっていなければ、文明は発展していなかったはずです。
文字がなければ、知識が現在のように発展することはなかったでしょう。
手を器用に扱えなければ、私たちが身の周りで便利に使っている道具は生まれていません。
知識を引き継いで引き継いでさらなる発展を、手の活動で加えていったからこそ、現代のような革新的な文明が生まれたのだと考えられます。
だからこそ、人間は“手の活動”を育てていく必要があります。
手は知性の発達を助けます。子どもは、自分の手を使えるようになると、手を使うことによって環境でたくさんの経験をすることができます。子どもは、自分の意識を、それから知性を、それから意志を発達させるために、練習と経験をしなければなりません。人間は働くために発達しなければならないのではなく、発達するために働かなければならないのです。手の働きは精神の成長の表現です。
そして、手の活動をすることにより、それは知性とも密接につながっており、精神・こころもともに育てるのです。
ゆえに、まず、子どもは手の活動をすることで心身を育てなければなりません。
人間の偉大な力は、人間が環境に適応し、環境を修正することです。この理由のために、この世界に生まれた人間は誰でも、自分の人格を改めて準備しなければなりません。個々の人間には遺伝はありません。しかし一人一人が遺伝に相当する何かを準備しなければなりません。それと同じように、ある一定の場所に生まれたそれぞれの子どもは、誕生時には自分が生まれた集団の特徴を持っていません。それを創造して準備しなければなりません。自分自身のことばをつくり、環境に適応する必要があります。
私たちは人間のこの姿を、環境との相互作用および子どもの環境への適応において見なければなりません。
子どもの能力は遺伝だから、親の知能次第になるのでしょうか?
モンテッソーリ教育での考え方では、子どもの能力は遺伝ではないと考える、そう解釈できます。
子どもがもし、日本という国で生まれ、日本人として誕生した場合。
生まれたときには身体的な特徴(容姿など)以外は日本人としての特徴を持っていません。
日本人らしいふるまいや考え方、日本語、文化など、生まれながらにして持っているわけではないですよね。
自然に自分の中から生じる能力ではなく、環境の中で身につけていきます。
海外の国に生まれていたなら、日本人から生まれた子どもだとしても、ある日突然に、日本人の才能が目覚めるわけではないですよね?
海外で生まれ育てば、海外の環境に適応した人間になります。
ゆえに、人間は遺伝ではなく、環境の中で能力を身につけていく生き物だと考えられます。
頭の悪い親だと、子どもは遺伝で…みたいな論争がありますが、モンテッソーリ理論だと、その部分もすんなり納得できる解釈になります。
子どもは、吸収する精神というものを持っているので、この力であらゆる能力を身につけていきますが、頭の良い親の家庭では、そもそも親の言動、ふるまい、考えなど、毎日観察しながら子どもたちは育ちます。
親が、子どもに見せている行動や言動のレベルがそのまま吸収されるのです。
これは遺伝ではなく、家庭環境を吸収しているということになりますので、環境によるものです。
おわりに
一部分の抜粋で今回は本の中身について触れてみましたが、このような学びがぎっしりと詰まったのがこの本です。
どれも論理的で説得力があるので、今までモヤモヤしていた部分がスッキリしまくる本でした。
子育てをしていて悩む内容がこの本を読むことで原因と対策が分かったりします。
モンテッソーリ教育を学ぶことは、子どものことを深く学ぶということです。
ロンドン講義録を一通り読むことで、モンテッソーリ教育の軸となる考えを理解していくことが出来ます。
家庭でモンテッソーリ教育を取り入れたいと思う方は必ず手に取ってほしい本の一つです。
この本を読んだ後では子どもを見守る視点が必ず変わります。