おうちモンテッソーリは、はっきり言って、本来のモンテッソーリ教育ではありません。
私の中で、この考えは拭えないです。
どうあがいても、モンテッソーリ園でおこなうモンテッソーリ教育にはなり得ないし、同じ効果は得られないんです。
そんなことないよ、というモンテッソーリ教師の方もいるかもしれませんが、敢えて、楽観的にではなく、客観的事実を述べたいと思います。
おうちモンテッソーリのデメリット
いくら同じ道具を揃えて、いくら同じようなことをしているようでも、やっぱり効果は全然違います。
おうちモンテッソーリでの印象は恐らく、モンテッソーリ教育は個人活動だと思ってる方が多いのではないでしょうか?
実際、家庭でやるモンテッソーリは個人活動なので、あながち間違いではない解釈です。
しかしながら、実際のモンテッソーリメソッドでは、集団の力、縦割保育(異年齢保育)の環境の力が大きい理論なので、解釈に大きな解離が起きているように思います。
おうちモンテッソーリでのあるあるですが、
せっかく色々とお仕事の準備をしてみたけど、子どもが全然触ってくれません。
最初だけで、あとは全く興味がなくなってしまいました。
大人が提示をしても子どもが全然興味を持ってくれなくて…
なんて状況が頻繁にあるわけです。
これは、おうちモンテッソーリならではの問題点だと思います。
そもそもモンテッソーリ園においては、集団生活の中に身を置いて個人活動をするものですが、これが、吸収や模倣の力を最大限に引き出してくれる環境なのです。
モンテッソーリ園では、常に誰かがお仕事を広げている姿を観察する環境が整っています。
あらゆる年齢の子が成長に合った活動をそれぞれしているので、色んなレベルの活動を常に見て、過ごしています。
つまり、ひとつひとつの教具の扱い方を提示しなくても、環境の中に身を置いているだけで、ある程度の予備知識は日頃の環境から吸収できるということです。
- どんな活動に使う道具なのか?
- どんな動きを練習するものなのか?
- どこから持ってくるのか?
などなど、自然と観察できることで、自分のやりたい活動をキャッチしやすい仕組みが整っているのです。
モンテッソーリ教育は個人活動のように見えますが、集団の中でやるからこそ機能するメソッドです。
人が多く集まった中で行われるからこそ、最大の機能が発揮されるわけで、おうちモンテッソーリでは絶対にその環境は整いません。
これが、私がおうちモンテッソーリのデメリットだと思う部分です。
ですが、「おうちモンテは意味ないから止めな」という、そんなお話ではないですよ(笑)
おうちモンテッソーリをしようとしている人は、モンテッソーリ園の方法を模倣するだけではダメであるというこの事実を受け止めて、一歩先に進む必要があるということを伝えたかったのです。
モンテッソーリ園の真似事ではなく、家庭版モンテッソーリのアプローチ法や環境をおのおので改めて考え直さなければならないと思うんです。
おうちモンテッソーリは十人十色
家庭でするおうちモンテッソーリは、いわば、モンテッソーリ理論の応用をしなければならない難しいパターンだと思います。
どちらかと言えば、正式なメソッドをそのまま再現すればいいモンテッソーリ園でのモンテッソーリ教育の方が系統立ってるので初心者にとってはやりやすい…と個人的には思うのです(勝手に)。
家庭でやる場合には、いきなり、応用となるわけですが。
何かの応用をしようとする場合には、鉄則として、まずは基礎の知識がなければ始まりません。
それも、削ぎ落とされた情報ではなく、本来のニュアンスがわかる情報でなければ正しく理解することはできないです。
モンテッソーリ教育の基礎を身につけてから、家庭のモンテッソーリ教育に取り入れる必要がありますが、おうちモンテッソーリは本来のモンテッソーリ教育とは異なり、一本道ではなく、それぞれの道でゴールに向かうようなイメージになると思います。
教具を使えないなら、その代わりに手作りの道具やおもちゃを使ったり。(本来はおもちゃは使わない教育法ですが)
集団活動の代替になるものをそれぞれに模索したり。
モンテッソーリ教育が目指す方向性を理解することができれば、方法はそれぞれで違う形でも目的地に向かうことができるはずです。
観察とアプローチ
モンテッソーリ教育の中心となっているのは、観察です。
もちろん、おうちモンテッソーリにおいても、観察が重要な要素となってくるでしょう。
観察で得た情報をもとに、私たちは、手探りで方法を見つけ出さなければなりません。
教具は不思議な魅力を持っており、子どもの関心を引き寄せます。
その魔法の道具があれば、苦労なく、うまくいくのかもしれません。
ですが、おうちモンテッソーリで教具を全て揃えることは一般家庭では現実的に考えて難しいです。
ゆえに、個人に合わせた別のアプローチを見つける必要があります。
おわりに
我が家の娘は、一般的な子どもとは違う反応のオンパレードで、ベテラン・モンテッソーリ教師の先生を常に悩ませてきた問題児でした。
モンテッソーリ教具には、いつまで経っても興味を示さず。
そして、通うことも最終的には拒否するようになってしまい、今では教具に出会う機会もない日々です。
教具こそないものの、子どもが求めている欲求に向き合い、環境を整えることを意識した生活を続けたところ、色んな変化がありました。
絶望的だった逸脱現象のいくつかを正常化に導いて、周りを驚かせました。(別記事で投稿予定)
本物のモンテッソーリ教育にはどうやったってかないっこありません。
親としては、本物に固執してしまうと思います。ですが、必ずしもそこに縛り付けるのが正しいとは限りません。
観察の中で得た印象から、柔軟性を持って、固定観念を手放すことも必要な時があります。
マリア・モンテッソーリ博士もよく、形式にこだわることが重要なのではないというニュアンスのことを何度も伝えていました。
おうちモンテッソーリには家庭でのアプローチの形が存在するはずです。
私たち大人の使命は、我が子に合った環境を見つけ出すことと、「子どもの今」に向き合うことだと思います。
ただし、基礎知識の上で別のアプローチを模索するのです。